●構想3年! アメリカではあのオースティン・パワーズを抜き興行成績トップといううわさも?
とにかく、これでアナタも、イザという時、慶派で困らない!●
執筆:日仏会慶派担当客員講師
平安末期から鎌倉期にかけ康慶の代あたりから、それまでの貴族好みの定朝様式から一歩踏み出した仏像様式が発生してきた。それは、優しさや上品さといった当時の流行を残しつつ、さらに激しい動きや、深くえぐれたような衣紋、実際の目のような玉眼(頭部をくりぬいて目の部分に水晶や黒曜石をはめ込んだもの)の採用といった、それまでにはなかった写実性に富んだ新たなジャンルであり、その質実剛健なスタイルは、貴族に代わり台頭してきた武士たちに好まれた。言ってみれば、時代のニーズに的確に応えた、敏腕仏像プロデューサー/クリエイター、それが慶派だったわけである。 そしてこの様式は息子の運慶、弟子の快慶によって一気に完成度を増した。 ← 玉眼って、こんな感じ。 |
下の図のとおり、平安後期の仏師グループは院派、円派、慶派の三つに分かれる。
このように、仏師のグループは院派、円派、慶派の三つに分かれるが、当初、慶派は院派、円派に完全に押されていてあまり活躍の場はなかった。 (院派、円派、定朝様式に付いては後日リサーチする予定です) その慶派が一躍有名になったのは東大寺の復興事業だった!
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10 SEP 1999