止利仏師レポート 「幻の仏師 止利仏師」 by 日仏会専任教授
日本古来より、小室哲也、つんくにつながるプロデューサーという伝統。
#笑って読んでね… (^_^;)


今回、得意とはいえ、止利仏師についてレポートを書くと発表した途端、皆さんから寄せられたコメントは、「大変だと思いますが、頑張ってください」とか「さすが日仏会! いいレポート期待しています!」とか、何だかレポートを書く人に対しての言葉とは思えないようなものをたくさん頂き、「やっぱりやるんじゃなかったかなぁ〜?」と後悔しつつ挑戦してみました。

さて、止利仏師は一体どんな人物なのか? それを知る手掛かりは余りにも少ないのです。現在、彼の名前を確認出来る史料は、『日本書紀』と法隆寺金堂釈迦三尊像の光背銘の2点しかありません。前置きはさておき、まずは『日本書紀』における止利仏師の記述から見てみましょう。

●飛鳥時代のフランツ・ハラーレイ、止利仏師!
  彼が”Now!”と叫ぶとき、何かが起きる!

 『日本書紀』推古14年(西暦606年)の条には、止利仏師に関する有名なエピソードを綴られています。
元興寺の銅の鋳像(飛鳥大仏のこと)を完成させたものの、像が金堂の戸口より大きすぎて入れることが出来なかったが、「秀れたる工(たくみ)」として名を馳せていた「鞍作鳥」は金堂の戸を壊すことなく堂内に納め、その功績を推古天皇から称えられたというものです。
1400年前に、かのフランツ・ハラーレイを超えた人物が既に存在していたのだ!(笑)

止利が”Now!”と叫ぶとき、何かが起きる!(笑)

●止利仏師は飛鳥時代のつんくだった!? 
  釈迦三尊像が「Loveマシーン」なわけ

同じ『日本書紀』の推古天皇13年(西暦605年)4月条には、元興寺の銅造と刺繍の丈六仏各1体の造仏を「鞍作鳥」に命じています。この部分をクローズアップして、止利仏師本人が造像したのではなく、彼は指導監督した人物なのではないかという人がいます。
彼らの主張はいくら優れた仏師だからといって銅造と刺繍という全く違ったジャンルの仏像を作れるはずがなく、止利仏師はあくまで総合プロデューサーという立場で、自らが手掛けたものではなかったのではないかということです。わかり易くいえば、止利仏師は飛鳥時代のつんくで、代表作の釈迦三尊像はモーニング娘。に歌わせた「Loveマシーン」みたいなもんだということです。ちょっと暴論か?(笑) この説を裏付けているのが、もう一つの史料である法隆寺金堂釈迦三尊像の光背銘です。

●やっぱり止利仏師はつんくなの?

法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘の最後の部分に「司馬鞍首止利仏師造」と記されています。この銘文が刻まれたのが釈迦三尊像の完成時期よりも後の時代ではないかとする説もありますが、それ以上に問題となるのは「止利仏師」という銘記です。後世の例になってしまいますが、仏師の名を銘記する場合、「仏師○○」とするのが通例です。では、なぜ「仏師司馬鞍首止利」ではなく、「司馬鞍首止利仏師」と銘記されたのでしょうか。その答えを解決するヒントは三国時代の朝鮮にありました。

三国時代の朝鮮では、村の長を「トリ」と称する例が存在します。その例に当てはめると、「司馬鞍首止利仏師」は造仏(仏師)集団であった司馬鞍作氏のリーダーと解釈するのが正しいのではないでしょうか。「止利」は個人の名前ではなく、役職(?)だったということです。そう考えると『日本書紀』に記されている銅造と刺繍仏を同時に作ってしまうような偉業を成し得ることは、充分可能でしょう。プッチモニとモーニング娘。を同時に発売することだって出来るわけですよ。かなりつんくについて詳しく書いていますが、著者は全くその辺の知識がありません。想像で書いてある部分もあるかもしれませんが、その辺はご了承下さい。(笑)

止利様式の本流。法隆寺釈迦如来

●止利仏師の本名って?

飛鳥寺の造営について書かれている『元興寺縁起』にはその造塔に関して4人の人名が記されており、その中の一人として「鞍部首加羅爾」の名を伝えています。いままでの推論を当てはめると彼こそが「止利仏師」であり、その本名が「鞍部首加羅爾」という名前であった可能性も否定できなくなるのです。

止利仏師については、史料が少ない余り、彼が実在しない人物ではないかという疑う人もいます。この考え方は日本史における史料偏重主義の悪い面であり、事あるごとに小説家で歴史家の井沢元彦氏が『逆説の日本史』などで批判しています。
私自身も「記紀(古事記、日本書紀)に書かれているから正しい」とか「史料がないからそんな人物は存在しない」などといった考え方には同調しかねます。

 いずれにしてもそれを証明するものが何もないのでこのレポートを含め全てが推論でしかありません。日本仏師界屈指のプロデューサーであり、ミステリアスな面も多い仏師止利が明らかにされるのはいつのことでしょうか。そんなこととは無縁な仏像達は、今日もあの冷ややかなアルカイック・スマイルで我々を魅了し続けているのです。なんか、きれいにまとまったな。この辺でお後がよろしいようで…(笑)
   日仏会専任教授


日仏会へお便り

24/MAY 2000

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