奈良見仏会レポート(季史子さんの場合)同行者、松風村雨堂さんの場合はこちら


奈良見仏会レポート。
 西大寺:全部回ると1200円
 ガトー・ド・ボワ:ケーキとお茶で約800円
 秋篠寺:500円 朱印なし
 長弓寺:200円以上(志納) 予約した方が確実
 圓證寺:300円 予約した方がよし
 宝山寺:無料
<西大寺>

 西の大寺とは名ばかりのこぢんまりとした門をくぐると、そこにはなかなかしっとりとした良い雰囲気が漂っていました。東大寺の超観光名所ならではの豪華絢爛さとは本当に対照的です。聖武天皇と称徳女帝との違いも現れているのでしょうか。ぼんやりするにはうってつけの空間なのですが、仏像を見るとなると・・・・。四王堂、本堂、愛染堂、聚宝館それぞれ三百円ずつ拝観料を取られるので非常に痛い。これも寂れつつある寺の特色なのでしょうか。

 四王堂には本尊十一面観音像と四天王像が安置されています。本尊は右手に錫杖、左手に水瓶の長谷寺式、藤原彫刻、金ピカ・デカイ。パンフレットには丈六仏と書いてあるのですがお寺の人は6メーターだと解説していました。ちなみに丈六仏とは像高が一丈六尺(5メータ−弱)の仏像のことです。四天王は1502年に西大寺が焼失した後の造立らしく天平様式が十分に表現できていない中途半端な像でした。邪鬼は増長天に踏まれるのが創建当初、天平期のもので、言われてみれば素朴な力強さが東大寺戒壇院の邪鬼にちょこっと似ている気がしました。

 愛染堂は言わずと知れた真っ赤な愛のキューピッド、愛染明王がいらっしゃいます。叡尊という鎌倉時代の僧の念持仏なので小さいのですが細かなところまでしっかり作ってあるらしいです。ちなみに善円の作。本物は秘仏なので今回は見ることができず模刻で我慢しました。この模刻は「寸分くるわぬ」そうです。普段から愛に飢えている私は模刻の愛染さんにしっかりとお願いしてきました。「愛をくれー。」

 本堂は江戸時代のもので、その広さの割に祀ってある仏が少なく堂内は妙な白々しさがありました。14間×10間だそうです。ちなみに1間は約1・8メートル。本尊釈迦如来像は鎌倉時代の作でハ清凉寺式。清凉寺式釈迦というのは頭髪が縄状で(通常は螺(巻貝)状)、衣を通肩(多くは偏肩(ワンショルダー))に着用しているものをいいます。この釈迦像の掌が赤黒くしわの様子も実にリアルで人間の手を取り付けたような感じでした。そういえば清凉寺の釈迦如来像は胎内に臓物を入れてあるからこの釈迦さんは掌もリアリズムを追求したかと思われます。ちなみに善慶の作だそうです。

 向かって右にはここにも丈六の弥勒座像。鎌倉末期・金ピカです。向かって左には文殊菩薩騎獅像と4人の従者(善財童子・優填王ウデンオウ・仏陀波利・最勝老人)が。この文殊は実にあでやかな顔をしています。その智恵で何人のオノコを・・・。彼女の騎乗する獅子は目尻が下がっているためとっても情けない顔をしています。対照的でいいコンビ。「この文殊は湛慶ぽい」と知ったかぶりをしてしまったのですが、ほんとのところはどうなんだろう。

 本尊の裏手には噂の地蔵菩薩。といっても! 噂のことはあとで知ったのですが。しかし確かに何か得体の知れないものを感じました。じっくり観察していないので記憶がおぼろげですが印象としては、真っ黒な顔に怪しく鋭く光る眼孔、ニヒルな口元。慈愛を司る地蔵とはかけ離れています。邪鬼は元悪魔で今となってはユーモラスの代名詞となっていますが、この地蔵はまさに邪悪といった風情です。これから拝観される方、悪魔に魅入られないように、あまり地蔵の目を見ないようにした方がいいかもしれませぬ。

 聚宝館は珍しいものが沢山ありました。愛染堂本尊の中途半端な模刻が2体。金ぴか阿弥陀と阿しゅく如来。奈良時代の宝生如来と阿弥陀如来(重文)。同じ吉祥天でも法華堂のとはえらい違いの平安期吉祥天(一応重文)。国宝舎利容器。密教法具。大茶盛茶碗。曼陀羅。などなどこれぞ2軍というもののオンパレード。勉強になります。

<秋篠寺>

 お馴染み伎芸天がおわします雅なお寺。彼女は見るたびにその表情を変えていて、また、見る角度によっても様々な印象を与えてくれます。日本で唯一の伎芸天。美空ひばりさんにも匹敵する大スター。今回の彼女はとても楽しそうに笑っていました。何か良いことがあったんでしょうね。こらえきれない笑いがにじんでいると言うよりも、手放しで笑っている、そんな感じでした。ヒンドゥー教の最高神シヴァである摩醯首羅天(マケイシュラ)が歌い踊っていたときに、その髪際からうまれたという育ちの良さが、手放しの笑顔にもあらわれていました。

 ちなみにこの伎芸天はホントに伎芸天かどうか不明だそうです。儀軌によると伎芸天は天衣・瓔珞等で身を飾った天女形で左手は上を向けて天花(テンゲ:花を盛った皿)を捧げ、右手で裙をつまむ姿とされています。彼女の姿とは違うようです。この儀軌は平安時代に円仁によって請来されたものですから、天平期の仏像がこの儀軌に即して作られていることはあり得ません。ただ、彼女の体は鎌倉時代に作られたものですが。いずれにせよ彼女が伎芸天かどうかは本人のみぞ知る、ということになりそうです。

 相変わらず伎芸天はひとり注目を浴びていましたが、他の仏像達にも目を向けておきましょう。本尊は薬師如来で鎌倉後期と推定されています。大きな切れ長の目が印象的、だったような気が・・・。伎芸天に対抗して右端には帝釈天が安置されていました。頭部天平、体部鎌倉と伎芸天と同じ作りなのですが、その顔はお世辞にも男前とは言い難く、人気を伎芸天にかっさらわれていることを苦々しく思っている、そんな表情です。左の隅には五大力菩薩が。蔵王権現と同じようなポーズをとっているのですが、手足は細く忿怒とはほど遠い面相、完全に名前負けしているこの5体。情けなくて母性をくすぐってくれます。ちなみに金剛吼・竜王吼・無畏十力吼・雷電吼・無量力吼で五菩薩です。残念ながらここまでしか記憶がございません。他の仏達ごめんなさい。また今度ね。

 言い忘れていましたが、本堂は国宝です。鎌倉時代の建築ですが、様式的には奈良時代の建築技法を忠実に活かした「単純素朴の中にも均整と落ち着きを見せる純和様建築」(秋篠寺パンフレットより)です。5間×4間。これで西大寺本堂の大きさがわかると思います。
 それから苔マニア垂涎の苔。苔寺にも負けてはいません(たぶん)。

<真弓山長弓寺>

 事前に予約していたにもかかわらず、本尊秘仏十一面観音(重文)を拝観することができず、いささか憤慨いたしました。しっかりしてくれい。この十一面観音は創建当初の像は行基が白檀で作ったそうです。ちなみ頭頂の仏面は聖武天皇の弓で彫ったんだとさ。そんなにもすごいものなのです。現在の本尊は鎌倉時代と推定されていますが、模刻を見る限りそのふてぶてしい表情に藤原時代を想像できます。厨子入り本尊の周りには極彩色の四天王がいました。「極」というほどではないですが、普段見ているのから比べればこれはもう極彩色です。顔の色、衣服の文様などがよくわかります。虎皮を背負っていると言うこともわかります。

 左奥の犯人が隠れていそうな怪しい暗い小部屋に大胆にも村雨さんが踏み込んでゆくと、そこには三軍クラスの仏像達が。その中でとても魅力的だったのが厨子入り弁才天with十五童子。ままごとみたいに小さな馬が荷車を引っ張っていたりします。ほしいっ。しかしこういった3軍クラスの扱いを受けている中に意外と価値のある仏像があったりするものです。是非調査していただきたい。埃まみれではもったいないですぞ。

 ちなみに本堂は国宝であります。檜皮葺の屋根がとてもきれい。心が落ち着いてゆくのがわかります。

<圓證寺>

 和紙でできた人形(ヒトガタ)に心の垢を移して清める、そんなニクイ演出をしてくれます。確かに人形が溶けてゆく様は手を洗うよりもなんだかより一層清められる気が致します。

 重文の本堂には釈迦三尊、千手、不動、厨子入り荼枳尼(ダキニ)天などがいました。釈迦三尊像は釈迦如来が鎌倉時代、文殊菩薩騎獅像が平安後期、普賢菩薩騎象像が平安前期と、うまい具合に製作時期がずれているので彫刻史の勉強になります。鎌倉釈迦如来は玉眼に写実性の強い衣文。鎌倉時代の特徴をよく表しています。平安前期の普賢菩薩はノミ跡が残っていたり渦巻き文があったり。こんもりとした髷は密教仏を連想させます。合掌されており、オトコマエ。象は鎌倉時代の後補なのですが、それほどミスマッチさは感じさせず、普賢菩薩のしっとり感・神秘的な雰囲気を助長しています。

平安後期の文殊菩薩は体は肉付きがいいとは言えないのにどっしりと落ち着きを感じさせます。獅子も同時期の製作でこちらも男性的。そして住職さんは好青年。仏像を凝視する私たちに嫌な顔ひとつされず、楽しいお話と心地よい笑顔と冷たいお茶で、実にゆったりとした和やかな時間を過ごさせていただきました。いいお寺さんだなーと思いました。仏像を観察する前には合掌と挨拶することにします。仏像を愛する人間として。

<宝山寺>

 最後は宝山寺、通称生駒聖天さん。見仏の対象としては思っていなかったこのお寺。あなどる事なかれ。かなりグッと来ます。いろんなところをくすぐってくれます。ゴージャス度100!ミステリアス度100!ありがた度100!振り返ってみれば歴史的価値のある仏像は少ないのですが、そんなことは今の今まで忘れていました。唐破風付きの割拝殿、擬洋風建築獅子閣、本堂多宝塔開山堂、そして絶壁に点在する経塚と美しい弥勒菩薩のおわす般若窟。そういう諸々のものが狭い敷地にびっしりとあります。弥勒さんはまさに兜率天におられるような感じ。

 聖天というのは大聖歓喜天といって皆様よくご存じであろう象頭の神様ガネーシャが仏教に取り入れられたものです。生駒聖天さんは秘仏のためどんな像容かはわかりませんが、おそらく、象頭人身の男天と女天の夫婦2神がひしと抱き合う双身像だと思います。ちなみに女天は男天の両足先を踏んでいて古代インド時代の魔性の性格をよく残しているそうです。これって女性が魔性だってことかしら?

 そして私はまたもや男前を発見してしまった。文殊堂の文殊。悩ましげに美しい眉をひそめて思惟する美少年。生まれは昭和53年だとか。あらいやだ・同い年じゃありませんか。若くみえますわね・17才くらいかと思いましたわ、ウフ・という感じで会話ができたらよかったのですが、彼は若いみそらで真実とは何か・・・とつぶやいていました。ちなみに彼は獅子に横乗りでした。しかしタダで彼を拝めるなんてラッキーです。奈良に出るときは会いに行こう。徒歩で!!そういえば聖天さんは境内拝観自由でした。ありがたや、ありがたや。

 これほどまでに充実した見仏になるとは・・・。やはりもつべきものは仏友。1人で見る仏もそれはそれで趣深いものがありますが、お堂ののぞき窓は欠かさずチェックし、怪しげな扉もお構いなく開けるなんて仏友と一緒じゃないとできませんもの。ホントに楽しかった!!

                                    2000.7.8(土)晴れ

文/季史子さん

楽しい道中だったようでよかったですね。専門的な話と季史子さんの想いが織り交ぜられた不思議で面白い文章でした。
 秋篠寺の朱印ですが、私は受付でいつももらってますので、この日だけもらえなかったんでしょうきっと。
 ちなみに清涼寺式釈迦如来については、「仏像相談室」に写真と記事があります。

それにしても、西大寺の拝観料は痛すぎだよね(笑)

最高顧問


日仏会へお便り

28/AUG 2000

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