レポート「国宝・阿修羅展」 at 東京国立博物館

 −アイドルが上京!−
名誉顧問と最高顧問IIは「国宝・阿修羅展」報道内覧会に行ってきました!
珠玉のスターたちがずらり勢ぞろい。そのようすをレポートします。
個性的な仏像から、興福寺、藤原氏へと思いはめぐります。
(写真は特別に許可を得て撮影したものです。会期中は撮影禁止です)

国宝・阿修羅展 at 東京国立博物館

充実の「ブツぞろい」に満足      TEXT:名誉顧問 PHOTO:名誉顧問、最高顧問II

国宝・阿修羅展 at 東京国立博物館 「阿修羅展」とありますが、ほかにもたくさんの仏像がいっぱい。平成館はまさに「仏像漬け」(笑)。
要するに、興福寺「西金堂」と「中金堂」の二堂の仏像群を展示する内容です。

1.八部衆・十大弟子フルメンバー(西金堂)
阿修羅を筆頭とする八部衆と、落語家みたいな(?)十大弟子。貴重な天平の仏像が全員集合です。阿修羅の後姿も必見!

2.超重量級!四天王と菩薩たち&運慶仏(中金堂)
中金堂の巨大スターたちが大迫力を見るものを圧倒します。そして「運慶作」と判明した仏頭。




「話しかけたくなる」阿修羅クンと仲間たち

まずお目見えは八部衆はちぶしゅう:竜王、夜叉などインドの神々8人衆。戦争に明け暮れた阿修羅も仲間入りし、仏教の守り神になった。 と十大弟子釈迦の直弟子10人。釈迦の入滅後、経典の編纂など仏教発展に貢献した 。しかし阿修羅クンは次の間にいますからあせらないで。
名誉顧問一番のお気に入りは、沙羯羅(さから)ちゃん。間近に見てもカワイイです。いつものように困った顔でお母さんを見上げています。

国宝・阿修羅展 at 東京国立博物館
まずは八部衆たちがごあいさつ
国宝・阿修羅展 at 東京国立博物館
沙羯羅ちゃんと語り合う名誉顧問


次の間へは「薬師寺展」と同様、スロープをのぼり、赤いバルコニーから眺めます。いるのは主役の阿修羅クン。完全に、同期の八部衆メンバーとは別格扱い。
下に降りれば360度ぐるりと見られるので、ぜひ横から後から見てください。左右の面もいいです。右面(向かって左)は下唇をかんでくやしそう。左面は厳しい表情で不甲斐ない自分の心を嘆いているよう。
正面は誰でもご存知、まゆをひそめた神妙な表情。「こんな遠くまで来ちゃった」と、奈良の実家を思っているようです。

脱活乾漆だっかつかんしつ:芯木に麻布を巻き、漆のペーストを盛り付けて彫刻する技法。張子のように中が空洞になるので軽く、阿修羅像は15kgしかない とか、彩色、文様の状態など「つくり」の点も特筆すべき。でも、個人的には、つくりものでなく生きたキャラクターとして気さくに語りかけたくなるのです。 そのへんが、沙羯羅ちゃんや阿修羅クンの最大の魅力ではないでしょうか。
そんなに悩まないでさ、と、ガード下で瓶ビールを酌み交わしたくなる、こんな仏像は他にいません!

え〜、まじめな話をすると(笑)、西金堂像は、八部衆や十大弟子が、釈迦の説法を聞きに集まったところを表現しています。私たちと同じオーディエンスの立場だから、身近に感じられるのも当然。
人間である十大弟子が悟り顔で、神であるはずの八部衆が悩み顔という、逆説的な表現が興味深いです。

国宝・阿修羅展 at 東京国立博物館
取材陣に取り囲まれる阿修羅クン
国宝・阿修羅展 at 東京国立博物館
貴重な阿修羅の後姿。左右面は耳もちゃんと造られている



巨大さで圧倒。「運慶作」の真相は?

ここまででまだ展示の半分。第二会場に入ると「おおっ」と声をあげてしまいます。
重量感あふれる四天王が交互に立って、その奥に巨大な菩薩像が! もはや「持・増・広・多」の伝統的四隅配置本来は本尊を中心として、四隅に四天王を配置する。東南から左回りに、持国天、増長天、広目天、多聞天の順に並ぶ は完全無視! 同行した最高顧問IIは「回廊に立つ古代ローマの彫像みたい」と、西洋的な考えの展示であることを指摘しました。

国宝・阿修羅展 at 東京国立博物館
仏像の回廊
 


そして、仏像ファンの間でもっとも話題になりそうなのが、釈迦如来の仏頭。説明書きに、堂々と「運慶作」とあるじゃないですか。
興福寺の『類聚世要抄』の記述に、大仏師運慶の記述があるそうです。
1186年の作だから、デビュー作・円成寺大日如来の次で、伊豆の願成就院がんじょうじゅいん:源頼朝ゆかりの寺。運慶作の力強い阿弥陀如来像などが有名 の一年前。それにしちゃ玉眼ぎょくがん:水晶をはめ込んで眼の輝きを表現する技法 は無いし顔が引き締まって運慶っぽくない。興福寺の古仏にならって古風な作りにした、というのが主催者の説です。

国宝・阿修羅展 at 東京国立博物館
化仏と一緒に展示中
国宝・阿修羅展 at 東京国立博物館
運慶作(?)釈迦如来頭部
(東博サイトより)

釈迦如来、薬王・薬上菩薩に四天王。この構成は法隆寺金堂と同じ古典的スタイルです。
興福寺は藤原氏の氏寺です。藤原氏はなにかと法隆寺を祀ってきました。聖徳太子や蘇我氏の怨霊鎮魂という説もあります。そう思うと、興福寺の中金堂は、法隆寺へのオマージュなのかも? なんて深読みする次第です。


歴史ミステリー? 藤原政治と廃仏毀釈

興福寺は、明治期の廃仏毀釈で荒廃。境内は奈良公園の一部として開放され、あわや売却というところまで衰退しました。 歴史をひもとくと、明治以前の政治体制は、原則として律令制が基本。これを確立したのが、じつに奈良時代の藤原不比等なのでした。その後の藤原氏の興隆はご存知の通り。
1000年も続いた藤原律令体制を改めた明治期に、藤原氏ゆかりの興福寺が衰退したのは、偶然なのか、それとも・・・!?

話が逸脱しましたが、仏像を通して興福寺盛衰の歴史も見えてくる、興味深い展示なのでした。

国宝・阿修羅展 at 東京国立博物館
興福寺五重塔と東金堂。壊されなくてよかった・・・





2009/4/3  宮澤やすみ(日仏会名誉顧問)



リンク:
国宝・阿修羅展公式サイト


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