レポート「特別展 仏像」 at 東京国立博物館

 −はたして、エライのは仏か、木か?−
2006年9月。名誉顧問のもとに届いた一通の招待状。それは、東京国立博物館「仏像 一木にこめられた祈り」のマスコミ向け内覧会の案内状でした。
さっそく最高顧問2と二人で出かけた内覧会。右を見ても左を見ても、仏像100%! 狂喜乱舞の二人が興奮さめやらぬ中、その様子をレポートします。
(すべての写真は、特別に許可を得て撮影したものです)

はたして、エライのは仏か、木か?

PHOTO:名誉顧問、最高顧問2 TEXT:名誉顧問

東京・上野の国立博物館。平成館のエスカレーターを上るにつれ、興奮も高まっていく。ついに、仏(ブツ)好きが待ちに待った「仏像展」が始まるんだ。 今回の「仏像展」は、「一木にこめられた祈り」とサブタイトルがあるように、木彫仏にスポットを当てている。その中でも1.壇像、2.一木彫、3.鉈彫、4.円空・木喰の4カテゴリに分かれている。

1.壇像

インドの伝説によると、釈迦の在世時、インドの王がビャクダン(白檀)で釈迦の姿を彫りあげたという。いい匂いもするし、白檀は仏像を彫るのに珍重された。木があまり大きく育たないため、巨像は造れないが、そのかわり細かい造りができるのが特徴だ。
ただしビャクダンは中国では自生しないため、中国の慧沼(えしょう)というエライお坊さんが十一面観音の場合は栢木(はくぼく)を代用できるとし、日本では栢木の代用としてカヤの木が使われた。こうなるともはや「壇」像じゃないんだけど、細かいことはまあいいじゃないの。壇像では十一面観音像が主流だけど、このエライお坊さんの言葉が影響しているのだ。
とにかく壇像といえば、イヤリングやらネックレスやら、微細な彫刻はとても人間技とは思えない精緻な造りがみどころ。思わず「うひゃーすげー」と声をあげる。なかでも京都・醍醐寺の像は、流れるような衣がギリシャの古代彫刻のように優美で目を惹く。一方、奈良・霊山寺の像は、頭が異様に大きくて、「なんじゃいコラ」と目をしかめている。怖い。こんな怖い十一面さんはめずらしいんじゃないだろうか。


壇像に見入る来場者

2.一木彫

さてこちらは、一般の仏好きのツボをついた、迫力の像が勢ぞろい! ぼくもここにいた時間が一番長い。 飛鳥、白鳳、天平の時代、金銅像や乾漆像が造られたが、壇像が流行ると「木で造るとうまくできるね!」と評判になったらしい。しかもさっき出た栢木。これ、じつは何の木だか特定できないらしい。日本では、「とりあえずカヤということで、ひとつ」となったらしいが、その後、だったらこの木も使える、あの木も使えるという流れがあったようだ。すると、大きな木材を使えば、壇像とは比較にならない大きな像が造れる。仏像制作スタッフは燃えたでしょう。もっとスゴイの造ろうぜ! そうして迫力の一木彫の時代が来るわけです。8世紀後半から9世紀前半のことです。
館内の順路を進むとまず出迎えてくれるのは、あの唐招提寺のトルソ三人衆! カッコイイ!! 薬師如来を真ん中に、左が獅子吼菩薩、右が衆宝王菩薩。
「トルソ」とは、現代美術やファッションのマネキンでよく見る、手足や頭部を省略した像のこと。この三人衆も、手の欠け具合がいいバランスを作り出している。手がないので、本来は何の像だったのかよくわからない。だから三人とも「伝」がつく。両脇の菩薩は、衣のまとい具合を良く見ると、布ではなく動物の皮をひっかけているように見える「らしい」(学芸員の方がそうおっしゃっていた)。ってことは、鹿の皮をまとうとされる「不空羂索観音」の可能性もあるのだ! 何をかくそう、ぼくは仏像の中でも大の「不空羂索」ファンである。あの、多すぎず、少なすぎない「ほどよい異形」がなんともいい。東大寺法華堂の不空羂索はもちろん好きな仏像ランキング上位に入る。
ともかく、「不空羂索」と聞いて、ますますこの像が好きになってしまったのであった。


伝衆宝王菩薩を見上げる名誉顧問

このコーナーでは、奈良博でおなじみの像も来ている。あのぱんぱんに腿の張り出した元興寺薬師如来や、これまたファンの多い「おっさん如来」、弥勒仏坐像もはるばる来てくれた。いや〜久しぶりじゃ〜ん、元気そう。あいかわらず「どっこいしょ」と座って背を丸め、「おかん、お茶いれてんか〜」とつぶやく姿が深い感動を誘う。


おっさん、いや、弥勒仏との再会を喜ぶ名誉顧問
 

蓮台に見える丸い彫り跡は、蓮の実を表したもの(元興寺薬師如来)。
奈良博じゃこんな角度から見られない。


そして11月7日からは、以前ぼくがレポート部門に書いた「湖北・カリスマ観音に逢う旅」に登場する、向源寺のセクシー渡岸寺十一面(名前がややこしい!)がやって来る! 絶対会いにいくぞー。

3.鉈彫

「鉈彫(なたぼり)」というのは、彫り跡をあえて残す(というか、わざとつける)技法を用いた像のこと。その彫り跡は、実際は鉈ではなくノミで丁寧に付けられる。なんでこんなことをするのか。 これは、木材を彫り進めていって、次第に仏像の形ができてくる「過程」を、わざわざ表現しているらしい。これには「霊木信仰」がからんでいる。
仏教がやってくる以前、古代の日本では木や太陽、月などを崇める自然崇拝の思想があった。それは仏教流入後も脈々と受け継がれてきた。日本古来の信仰と仏教は、一緒になって「神仏習合」という独特の信仰形態が作られた。
日本人は、「木」そのものを崇拝する。ほら、神社なんかであるでしょ。巨木をご神木として大事にしているとこ。ああいうノリで、霊験あらたかな木を用いて仏像を作るとき、「霊力のある木から、まさに今、仏が現出しようとしているっ」そんな瞬間を表現したかったらしい。
会場では、京浜急行をご利用の皆様にはおなじみの、弘明寺(ぐみょうじ)十一面観音がお出迎え。首をかしげて微笑んでいる。その向こうには、あの東北三大毘沙門天の一人、藤里毘沙門天もお出ましだ! ただ、岩手の旅でやっとたどり着いた収蔵庫で、自然光の中で対峙した藤里毘沙門天と、今回の像とは印象がちがう。田舎の像だからか、凝った演出、照明にちょっと照れているようだ。「わ、わたスは、岩手の山奥のもんスから、こんな人の多い所は初めてだべ」(ゴメン岩手弁わからない)


鉈彫像は関東や東北に多い

4.円空・木喰

日仏会の周りでは、円空・木喰の人気ははっきり言って低い。しかし、今回はその印象ががらりと変わった。とくに私・名誉顧問は円空に、同行の最高顧問2氏は木喰に感動した。
江戸時代、幕府の檀家制度や、幕府−本山−末寺−民衆の統制システムが作られると、仏教自体形式化してきたらしい。大名が金銀を用いた仏像を造って贅を競っても、それはどこか「お人形さん」的な像になる。そんな時、純粋な信仰心から、形式にとらわれず仏像を彫り続けたのが、17世紀の円空と18世紀の木喰だ。円空は鉈を使って大胆に彫りあげる。彫るというより「割る」という感じだ。木喰は表面を滑らかに仕上げて、福福しい丸みのある表情を造る。光背まで一材で造る。 どちらも、より「木」の特徴を生かしきった結果生まれたような仏像だ。円空は、石でできた路傍の野仏にあるような、素朴なあったかい印象がある。思わずこちらもニッコリ微笑んで、自然と手を合わせたくなる。


円空仏は石仏の温かみがある

まとめ:「ありがたや」への欲望

今回の展示は、仏像が主役なのはもちろんだけど、裏のテーマに「木への信仰」がある。日本古来の自然崇拝からきた霊木信仰。それを保ちつつ受け入れた仏教思想。そんな時代だから、「ありがたいご神木で、仏像を造ったらさぞかし霊験あらたかだろう」と思うのも自然なこと。木に対する「ありがたや」、仏に対する「ありがたや」で、まさに「ありがたや二倍!」。この「ありがたや」を追求する姿。良く言えば功徳を積むことになり、悪く言えば、「もっと”ありがたや”を!」、つまり、「ありがたや」へのあくなき欲望である。そんなところに、人間の業を垣間見ることができる。ぼくが見たのは仏か、木か? そんな想いを抱かせた展覧会だった。

参考資料:「仏像 一木にこめられた祈り」公式図録(読売新聞東京本社)

2006/10/15  日仏会名誉顧問

 

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