レポート:「中尊寺 秘仏一字金輪仏頂尊の特別公開に行ってきた」


 
平泉世界遺産登録記念 中尊寺一字金輪仏頂尊拝観記録

  仙台にて大観音を見仏後、鈍行列車でさらに北上。
  目指すは岩手県、平泉の中尊寺である。
  (平成24年8月23日拝観)

  平泉に着いたのは既に午後3時前。この地は5年ぶりの来訪であり、前回は毛越寺境内に泊まるという離れ業を演じ、1泊2日で毛越寺、義経堂などけっこう腰を据えて見た感がある。加えて今回は時間の関係もあり、やむをえずではあるが中尊寺一本にターゲットを絞っていた。

  駅前で借りたレンタサイクルに飛び乗り、一路中尊寺へ。時間にして15分程度、目的地に到着した。

 国道4号線沿いに入口、実に分かりやすい。

  ターゲットの一字金輪仏頂尊は讃衡蔵(いわゆる宝物殿)裏手の特別収蔵室に安置されているとのことで、取り急ぎ5年前にも見た讃衡蔵をざっと見学し、早々に「メインディッシュ」へ移動する。

今回の特別公開の舞台である讃衡蔵特別収蔵室

  「特別公開」というのに入口は閑散。境内で大々的に宣伝しているかと思えば意外とそうでもなく、さらには場所的にも通常の見学ルートから若干奥まったところに入口があり、讃衡蔵とは別料金ということもあって、本当に興味のある人しか来ないのでは、と思う。まぁ、春に見に行った京都の法性寺みたく、何で並んでるのかもわからないような人たちまで大行列ができてしまうより、拝観する側としてはよほど良い。

  入口で券を買ったところ、どうやら一度に入場できる人数を制限しているようで、堂外にて待たされる。この日は特に残暑が厳しく、午前中の仙台大観音からひたすら移動に次ぐ移動を重ね、最後のレンタサイクルでもうこれでもかと言う位汗だくになりながら、業務用大型扇風機の前に陣取り、順番を待つ。

  その後、僧侶の案内で堂内へ。入口前で一字金輪仏頂の由来を紹介した映像を見せられる。自分以外には4人くらいの家族連れと学生風の3人の2組のみ。夏休みとはいえ平日ならこんなもんか、と安心する。

  5分くらいで映像は終わり、いよいよ中へ。明らかに近年に新築されたであろうお堂は照明を抑えた絨毯敷き。広さは30畳くらいあろうか。中央の須弥壇風のガラスケースの中に鎮座する白い一字金輪仏頂尊。正面と左右の3アングルから鑑賞することができた。

  その姿は正面から一見する限り、智拳印を結ぶ金剛界大日如来像そのもの。藤原秀衡の念持仏であったという由来を持っているが、だとすれば平安末期頃の作例となるのだが、自分の目には鎌倉初期〜中期くらいの作風のように映った(もっとも、文化財指定を見る限り、平安末〜鎌倉初、となっており、由来とも一致するのであるが)。

  一字金輪仏頂とは大日如来所変の仏頂尊とされ、金剛界の大日如来が『胎蔵界日輪三昧』という瞑想の境地に入って唱えた梵字「ボロン」の神格化とされる。事実、この像は丸彫りではあるものの、光背から浮き出てくる様を写した、という態になっているため、顔や肩の後ろ半分、背中の部分など後半身が作られていない。というか胴体が直接光背に接地しており、梵字「ボロン」からまさに浮き出てくる姿を形象したという。でありながら、正面から見た時はしっかりと奥行きを感じさせる。こんな仏像は他で一度もお目にかかったことはない。

  家族連れと学生風が退出し、自分だけになったところで、中にいらした僧侶の方から2,3お話をうかがうことができた。「金剛界大日となにか違うのか」と尋ねてみたのだが・・・。

  要約すると「この像が金剛界大日と違うのは金剛界、胎蔵界を合わせた曼陀羅の頂点にいる仏とされているため、そもそも尊格からして違う」とのことだった。見かけ上はここまで似ているのに非なるもの、としてとらえなければいけないものらしい。なんだかうまく騙されているような気がしないでもなかったが、金剛界大日が多くの寺院に伝わっているのに対し、「一字金輪仏頂」として伝来している彫像の作例は、本像がほとんど唯一と言ってもいいくらいのレア度合である。このくらいの誇張は許されてもいいのだろう。

  大きさはおそらく1mもなかったであろう「白い大日(に似た)像」はこういった経緯で、非常に強烈な印象を残した。
 
  ちなみに、この一字金輪仏頂、Wikipediaによれば「これを本尊とする修法はあまりに強力であり、その壇から五百由旬四方の場所で行われている他の修法は全て無効化されてしまうとされた。そのため、真言宗では東寺の長者のみが修することを許されていたという。」とのことである。実はこのとき、「仙台でおいしい牛タンが食えますように」とか、それ以外にも、とてもここには書けないようなとんでもないお願いをこの像にしたのだが、これを聞き咎められたのか、帰りにピーカンだった天候が急変。猛烈な夕立に降られてしまい、もちろん傘など持っていなかった最高顧問はほうほうの体で平泉駅まで自転車をこぐ羽目になった。間違いなく、罰があたったものと思う。










そういえば、中尊寺と言えば誰もが見るであろう「あの場所」
見るには見たけど、ほとんど素通りでした(笑

文/最高顧問(U)

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7/JAN 2013

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