一般の方からのリサーチ依頼


匿名希望さん(18歳:高校生)からの質問

Yahooで検索してHPの方にお邪魔させて頂いた者です。
仏像に関しては何の知識も無いのですが、学校のレポートで取り上げようと思って いる事について、1つお尋ねしたい事があります。
菩薩像はどうして作られたのですか?
と言いますのも、如来は修行して完全に悟りを得た身であるのに対し、菩薩は修行 中のまだ悟りを得てはいない、いわゆる半人前の身であると聞いております。それ ならば、いづれの日にかの”救済”を求めている大衆から見れば、悟りを得きった 如来のみを拝んでいれば良い訳で、半人前の菩薩までも崇めたてる必要は無いので はないかと思うのです。つまり、菩薩を拝んでも、如来程の”救済”を得られない のですから、それならば如来のみを拝めば良いのであって、菩薩を作る必要は無か ったのではないのでしょうか。

匿名希望 (高3)

最高顧問の回答

こんにちは。日仏会最高顧問です。
ホームページ見てくれて、ありがとうございます!

学校でこんなこと勉強しているんですね。すごいなあ〜。
いやしかし、なかなか難しい質問ですねえ(^_^;)
まず、菩薩と如来の一番基本的な定義を整理してみましょう。

  • 如来
    完全に悟りを得たものとして表現される。
    人々に仏の教えを説法する
  • 菩薩
    将来如来になることが予定されていて、その日のために日夜 修行をし、民衆を救う活動をしている。

どうでしょう。少しすっきりしました?
もともとの定義はこんな感じだと思います。
それが、いろいろ時代が変わるうちにいろんな思想(宗派)がうまれて、 民衆はそんなに仏教の知識もありませんから 如来も菩薩も「ホトケさま」としてごっちゃにされて 「なんでもいいから救ってくれえ〜」ということになっているのでは ないでしょうか?

もうすこし詳しく説明しますね。
一口に如来と言ってもいろいろありまして、その基本型は釈迦如来です。
インドのゴータマ・シッダールタが悟りを得た姿をあらわしています。
昔の仏教では、この釈迦如来をよりどころにして修行をしていたわけ。
つまり、ここではまだ「救済」という考え方は薄い。
如来は「自分が悟りを得るためのお手本、または先生」という感じかな。
時代が下って「死後はホトケさまが極楽に連れていってくれる」という 極楽浄土の考え方が広まると、だんだんと「救ってもらおう」 という感じの、わりと他力本願な思想が広まります。
そこでメジャーにのし上がったのが、阿弥陀如来です。
阿弥陀如来には観音菩薩と勢至菩薩という側近がついて 3人グループで世の中にひろまります。
なかでも観音菩薩は、死後の人間をハスの花に載せて運ぶ役なので どうしても観音様に人気があつまりがち。
もうこうなってくると民衆は、
「救ってもらえるなら誰でもいい」状態なので 「アミダさま、カンノンさま〜」って念仏を唱えるわけです。
熱心な信者なら別だけど、一般民衆はその程度の意識だったんじゃないでしょうか。

こんな感じで、仏像は仏教の歴史(思想の変化、宗派の広がり) とともに変化していったので、 今いろんな仏像を理解するには、時代と 形態で整理していくと良いと思います。
#特徴的なのは、浄土宗の阿弥陀如来、密教の大日如来

それに、如来はすでに「あちらの世界」の方にイっちゃってるので 人間界に近いところにいる菩薩の方が、親しみやすいのではないでしょうか?
今だって道端にお地蔵さん(正式には「地蔵菩薩」)がいたら おがんだりしますよね。

先生になんか文句言うとき、いきなり県の教育委員会とか校長先生には 行かないで、まず担任の先生に言うでしょう?

こんなところでしょうか。またわからないことがあったら、 ぜひメールくださいね!(^-^)

また、日仏会での私の片腕、日仏会専任教授は以下のような コメントをくれました。参考にしてください。

−−−−−−−−−専任教授から−−−−−−−−−−−−−−−

確かに、完全な悟りを開いている如来だけを拝んでいればいいと言った考えもある と思います。しかし、その考え方は極めてヨーロッパ的な考えと言えるのではない でしょうか? 結果を出した者だけが賞賛に値するといったヨーロッパ的な「結果 至上主義」が見え隠れしていませんか?

逆に、悟りの途中の者(菩薩さん)を拝む姿勢は、実に日本的だと思います。
完全に悟っている人物を拝むのは当然のことですが、修行をし、悟りを開こうと している人物を拝むことと言うのは、同じように修行をしている自分を応援して いる姿勢に似ていると思いませんか?
「菩薩さまだって頑張ってるんだ。僕も頑張らないと!!」みたいなね。(笑)

つまり、より自分の立場に近いものを拝むことによって、より信仰心を深めよう としたのが、菩薩を作るきっかけになったと言えるのではないでしょうか?

何か歴史的な背景とかまでは判らずに、申し訳ございません。
今後も日本美術、仏像等に関するご質問は随時承りますので、日仏会をご贔屓の程、 宜しくお願い致します。m(_ _)m

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

注:この意見は、最高顧問、専任教授の私見であり、何ら公的なものではありません。


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30 NOV 1997

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