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質問
はじめまして。私は現在大学4年生ですが、このごろ卒論(まったく仏像に関係なし!!)にそっぽを向いて仏像めぐりを繰り返しています。(といっても埼玉在住のため鎌倉に行くのが限界) 土門ドモン
最高顧問の回答 |
こんにちは。いっそのこと、卒論を仏像関係にしてしまってはいかがでしょうか? などと無責任な発言はおいといて(笑)、 鎌倉には水月観音サンがいますが、あれも室町期の作だったと思います。 つまり、鎌倉後期から室町の仏は、「わびさび」が入ってきてると私は思うんですよねー。鎌倉時代から、仏教の新しい宗派がぞくぞく現れて、仏をめぐる様相が変わってきたようです。禅とかそういう「わびさび」文化が台頭してきますと、それまでの、手や顔がいっぱいあったり、ヘビを身体に巻きつけたりという、密教系ヴィジュアル系の、ど派手なカルチャーは、人気が低迷してきます。ヒット曲が出せなくなっちゃったんですね。 それから、奈良平安時代は、仏教は、当時の天皇や貴族が権力を誇示するために、どんどん派手な仕掛けをつくりあげていった時代です。政治に利用された仏教。そのおかげであのようなド迫力の仏像を見ることができるわけです。 ところが、鎌倉後期になりますと仏教自体も様変わりして、たんなる政治の道具ではなく、信仰する人間ひとりひとりの問題になっていったのではないかと思います。 さらに、芸術面に目を向けると、中国から水墨画などのあたらしい風が吹いてきます。そうすると、当時のアーティストたちは、仏像彫刻以外にも表現の場が増えたことになるわけです。とくに禅僧は、水墨画をよくしました。ヨーロッパでも日本でも、中世の宗教美術一辺倒の時代から、ルネッサンス、人間回帰を経て、あたらしい美術を展開させていくという歴史的な事実があります。 このように宗教と美術の両方の面で、時代が変わっていったせいで、仏像制作のありかたが変わっていったため、室町以降の仏像の話がでてこないのだと思います。 歴史をたどると、奈良西大寺の愛染明王像を、善円という仏師が作り、この一派「善派(ぜんぱ)」が活躍した13世紀後半が、仏像造りの最後の盛り上がりでした。江戸時代は、湛海、円空、木喰というお坊さんが、素朴で個性的な仏像を造りました。 という感じで、とくに「これが定説」ってわけじゃないんですが、私の私見を書かせていただきました。土門さんはどう考えますか? いろんな考え方ができると思います。 なかなかムズカシイおはなしですなあ〜 と、お茶をにごしつつ... |
28 OCT 2000