レポート:
伊豆仏像偏愛紀行・前編(2010.6.5〜6.6)


 
  一昨年、鎌倉時代の仏師、運慶の作と推定される仏像がニューヨークのオークションに出品され、世間を騒がせた。なんと最終的には14億円の値で落札されたという。運慶は日本を代表する仏師であり、快慶ら慶派仏師をひきつれて造立した東大寺金剛力士像は、歴史の教科書で誰もが必ず習うほど有名だ。

  静岡県・願成就院には、その運慶の数少ない真作の仏像群が残されている。また、伊豆は鎌倉幕府執権を担った北条氏の本拠地であったため、願成就院以外にも多くの古刹が点在している。仏像ファン垂涎の的なのだ。私もかねてからずっとこの地を訪れたいと思ってきた。
 
  わが仏仲間との仏像旅行、今回の目的地はその伊豆。満を持して、いざ憧れの地へ!
 
 

・桑原薬師堂(函南町) 2010.6.5
  旅のスタートは、伊豆半島のちょうど付け根部分に位置する、函南町の桑原薬師堂。
  重要文化財の阿弥陀三尊をはじめとして多くの仏像が祀られている。
 
 
  お堂に入ろうとしたところ、入口近くに置かれたちゃぶ台で数人の方が昼食をとっていらっしゃっているところであった。なんだかよそのお宅にお邪魔しているような気分。恐縮しながら階段を上り、中を覗いてみると、そこにはたくさんの仏像がずらりと並んでいて、思わず息をのんだ。
 
  重文の阿弥陀三尊は、慶派の仏師である実慶によって鎌倉時代初期に造られたという。阿弥陀如来は、像高89cm。品のある涼しげな眼差しで、非常に洗練された像である。体躯は引き締まっており、艶やかに黒く光っている。その横には県の文化財指定を受けている平安期の薬師如来が祀られていた。こちらは表情も穏やかで、厚みのある堂々としたお姿だ。
  堂内には他にも十二神将や聖観音、地蔵菩薩など全部で24体の仏像が安置されており、その様子は壮観であった。
 
  このような素晴らしい仏像群の近くで、お寺の方々がごく自然に昼食を召し上がっている。生活の一部に仏像が溶け込んだような、その不思議な光景になんとも言えない感動を覚えた。博物館に入れられた仏像は、完璧な環境のもとに守られているかもしれないが、やはり私はお堂で見る仏像が一番好きだ。深く信仰されて、愛されてきた仏像には、一種のオーラのようなものが漂う。仏像を訪ね歩く醍醐味のひとつは、そのオーラを肌で感じられることにあると思う。
 
「どくだみ茶があるからどうぞ」
  女性の方に声をかけていただいた。意外にも全くクセがなく、とても飲みやすい。その方の手作りということで、なお驚いた。ちゃぶ台を囲んで私たち全員でお茶をいただいていると、この不思議な空間の一員になれた気がして嬉しくなった。
 
 
  お堂を出て裏手の階段を登ってゆくと、西国三十三所を模した石仏群が並んでいた。ふと見ると変わった石仏がある。大中小と並んでいる様子は、まるで三兄弟。こういう石仏を見るのはおそらく初めてではないだろうか。可愛らしくて、見ていると自然に顔が綻んでしまった。
 
 

・願成就院(伊豆の国市)2010.6.5
 
  鎌倉幕府初代執権・北条時政が奥州藤原氏討伐の戦勝を祈願して建立した古刹。約半世紀の歳月をかけて大伽藍が築かれたが、戦火により一時は荒廃、江戸時代に再興された。
 
 
  1185年に源頼朝から造仏の命を受けて、奈良仏師の成朝が鎌倉へ下向。
  これを端緒に御家人が次々と造仏を発願し、特に慶派仏師は鎌倉武士に重用されるようになった。一説によると、この頃運慶は東国まで足を運び、造像に携わったともいわれている。そのひとつが北条時政の依頼を受けて造られた静岡県・願成就院の仏像群であり、運慶35歳、鎌倉時代の新様式を確立しつつあったころの傑作とされている。
 
  重要文化財であるにもかかわらず、かなり間近に仏像を拝することができた。本尊の阿弥陀如来は、像高143.5cmの寄木造。体躯は分厚く量感があり、衣の表現が非常に写実的だ。深く彫られた衣文が美しく、思わず見入ってしまった。
  向かって阿弥陀如来の左側には不動明王及び二童子、右側には毘沙門天が祀られている。特に二童子はそれぞれ個性が出ていて、内気で清純な矜羯羅、やんちゃな制多迦という性格が、表情だけでなく衣文の動きでもよく表わされていた。

「浅田真央ちゃんに似てるでしょ」

  説明してくださった女性がおっしゃった。確かに矜羯羅童子は、おっとりとした可憐な少女のようで、とても可愛らしい。
 
  個人的に最も印象深かったのが、毘沙門天である。大きな玉眼の目を見開き、口をへの字に結んでいる。分厚い胸に甲冑をまとっているが、ひねった腰や軽やかな衣に動きがあり、重苦しさを全く感じなかった。
この毘沙門天は鎌倉武士の理想の姿であったという。堂々とした体躯、理知的で意志の強い表情は、誰もが憧れる姿だったに違いない。
 
 
(後編へ続く…)



文/かいじ513

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13/JUN 2010

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