レポート:最高顧問(U)の「小浜自転車見仏紀行」



  このGW「海のある奈良」と称された若狭小浜の古仏を、自慢の快速を飛ばして巡拝しました。
久方ぶりに味わう、「初見の仏像たちとの対面」に、心躍る一日でした。
  (取材日 平成21年5月1日)

■ JR小浜駅 09:30 スタート地点

                                     

  敦賀から小浜線に揺られること一時間、小浜駅に降り立った。天気は今日も快晴。

  最近ではNHKの連続テレビ小説の舞台になったとか、アメリカ大統領と読みも発音も一緒だとかでマスコミに取り上げられることもあるようだが、訪れた日は平日だったこともあり、静かな町だという印象をまず受ける。

  駅のロッカーに荷物を放り込み、すぐ脇にあった観光案内所で自転車を借りる。どうやら平成20年式のようだ。昨日高月で乗ったレンタサイクルよりも乗りやすい感触があった。

  同時に地図を確保。実に自分向けのパンフレット(最初の写真)を発見し、受付の女性に食事の場所やルートなどを2、3確認し、出発した。

  まず目指すは羽賀寺である。
 

■ 羽賀寺 09:50 小浜駅から5.9km 累計5.9km

  駅から10分ほど走ると市街地を抜け、あっという間に田園地帯に風景が変わる。
←ものの10分も走れば、この有様。

  スタートしてから北進20分、羽賀寺に到着する。あたり一面は田圃と山とわずかな集落以外、何もない。やや不釣り合いな大きな駐車場の脇に自転車を停め、境内へ。

  霊亀2年(716年)、鳳凰が舞い降りた吉祥を喜んだ元正天皇の命により行基が開山したと伝える。鳳凰の「羽」を「賀」する寺、というのが命名の由来だそうだ。

       
         
  「元正天皇 村上天皇 勅願 羽賀寺」                本堂(重文) この中に十一面観音像

  本尊の十一面観音は国の重要文化財で、平安前期、9世紀ごろの作とみられ、像高146cm。元正天皇の等身像と伝えられる。昭和30年ごろまで秘仏であったため、当初の彩色が両足を中心によく残っている。

  本堂は貸切状態。受付の女性に拝観料を納め、焼香の後、内陣に通される。ここでその女性にお寺の縁起を説明していただいた。一字一句、暗誦しているんだろうなぁ、と思わせるほど朗々と、まるで詩でも吟じているような説明だった。

  女帝を写した像ということで、法華寺の十一面観音を彷彿とさせる。制作時代もかなり似通っており、長い手や異国風の顔立ちもまた法華寺像と同様の印象を受けた。像は厨子に入っており、側面、背面を窺い知ることが出来なかったのが少々残念ではあったが、「彫像としての格調の高さ、完成度の高さはいわゆる地方作の水準をはるかに凌駕している」(週刊 日本の仏像)との評が実に正鵠を得たものであるか、よくわかった。

  他に、千手観音立像(重文:平安末期)、毘沙門天立像(重文:平安末期)などの寺宝を有している。小浜の古寺はどちらかというと小浜線の南側に集中しており、大きく北に外れたこの寺は、立地的に少々行きづらい感がある(正直、今回最初に行くか、最後に行くかでかなり迷った)。とはいえ、これだけの仏像が見られるとあらば、仏像ファンなら外すわけにはいかないだろう。


■ 若狭国分寺 10:45 羽賀寺から6.2km 累計12.1km

  つづいては、今回、最も南東に外れている明通寺を目指した。こういう、1日かけて複数箇所を回らなければならない自転車移動は、遠いところからつぶしていくのがセオリーである。予定時刻よりわずかに早かったので、JR東小浜駅の近くにある若狭国分寺へ立ち寄った。

見渡す限り一面の水田地帯

  細い道路を挟んで両側に釈迦堂と薬師堂。若いお坊さんに案内してもらい、まずは釈迦堂(下段写真左)から。ここには、地元で「若狭大仏」と呼ばれる丈六の釈迦像が安置されている。福井県の仏像の中では最大級の大きさを誇る座像で、小浜市指定文化財。胴体は鎌倉時代、頭部は江戸時代の修復とのことだ。像自体はその大きさもあってか、非常に立派なものだったが、お堂がかなり傷んでおり、壁にはすき間も多く、いたる所から光が差し込むほどである。

         

  続いて案内されたのはさっきとは逆に、非常にこぢんまりとして、小奇麗に整っている薬師堂(上段写真右)。こちらには国重文の薬師如来像と市指定の釈迦像、阿弥陀像が三尊仏のように並んでいる。いずれも鎌倉期の作で特に、中央に鎮座する薬師像の衣文の鋭い彫りが自分好み。ここの薬師像はとくに眼の病に霊験あらたかであると言い伝えられており、少し長めに真言を唱えてみる。案内してくれたお坊さんは堂外で待っててくれており、ここでもお堂の中は貸切状態だった。


■ 明通寺 11:20 若狭国分寺から5.6km 累計17.7km

  国分寺のお坊さんに道を確認し、明通寺へ向かう。稜線と稜線に挟まれた谷戸を走ることおよそ20分、明通寺に到着した。

明通寺へは自転車道路がかなり整備されている。

  このお寺、福井県で唯一の国宝建造物(本堂および三重塔)を有しており、自分は正直なところ、このお寺については、仏像は二の次で、国宝三重塔の方が若干優先度が高かった。とはいえ、この寺でも仏像に吸い寄せられる結果となる。

  国宝の本堂では、自分と、どうやらタクシーで回っているみたいな感じの人と、その運転手の2人、先客がおり(今回の小浜行で、唯一貸切にならなかった)、お寺の跡取りだろうか、自分と同年輩か少し若いんじゃないかと思えるくらいの男性が説明に立っていた。

  ここの本尊は薬師如来。右の脇侍に降三世明王、左の脇侍に深沙大将という、他所ではまずちょっとお目にかかれない極めてまれな三尊構成になっている。いずれも国重文。深沙大将の彫像例というだけで、そうとう貴重なのだが。そしてまたその大きさ。本尊は周丈六像のため、それほど大きい感じはしないのだが、両脇侍はいずれも2m50を超える大作である。

  どうしてこのような三尊構成になったのかは、鎌倉期の大火で史料書籍が焼失してしまったため、定かではないとのことだが、脇侍は客仏などではなく、当初からこの三尊構成で造立されたものだとの見方が強いとのことだ。

  一通りの説明を聞き、内陣へ行くとちょっと唖然とした。内陣須弥壇上に前述の三尊に加え、1mほどの十二神将がそれを取り囲んでいたのだが、そのさらに外側。須弥壇の最前列にこれでもかというくらい、お守りやお札、数珠などといったお土産の類がずらっと置かれていたのである。「いや、何もこんなところに置かなくても・・・」という感じがしたのだが、本尊の前でさらに驚いた。「代金はこちらにお納めください」と箱が置いてあり、その中や外には代金と思しき硬貨が文字通り埋め尽くすように置かれていたのである。本尊の前に賽銭箱が置いてあるのはよく見かける光景だが、硬貨とは言え、現ナマが埋め尽くすというのはどうなのか。ちょっと考えものだ。

  とはいえ、そのお土産のラインナップがお寺の縁起を書いたパンフレットだとか、ストラップだとか、お香だとか、お地蔵さまのデフォルメしたフィギュアだとか、いちいち自分の購買意欲をくすぐる品が多くて、仏像はみたいし、お土産もみたいし、非常に困ってしまい、本尊の前を何度も何度も何度も往復してしまった。お寺の人にも不審がられた事であろう。

  山あいのお寺で、境内も静か。素晴らしい建築とレアな仏像、たくさんのお土産と、かなり自分好みのお寺であったことは間違いない。


■ 妙楽寺 12:30 明通寺から7.7km 累計25.4km

  明通寺からいったん国道に戻って、小浜駅方面に西進。多田寺に寄るという手もあったのだが、時間の関係でそれを断念し、走ることおよそ30分。あんまり案内板とかがなくて、不安になり出したころに妙楽寺に到着した。

途中の国道沿いにあったパチンコ?店。閉鎖中。

  駐車場脇の庫裏で拝観料を納め、木々に囲まれた静かな参道をゆくと仁王門の奥に本堂が見えてきた(仁王門の唖形像、手首が足元に落ちていた。直してあげて欲しい)。

  ここの本尊、千手観音立像は写真をよくみればわかると思うが、真数千手観音である。通常、42臂に省略されてあらわされる千手観音の手だが、まれに千本、ないし千本に近い手を実際に彫像で示す例が現存する。唐招提寺、寿宝寺、藤井寺に続いて、自分が実際に見るのは4例目。この中でも妙楽寺像がまれな例として、頭上に本面以外に24面を備え、さらに正面左右に脇面として大型の金剛面(忿怒相)と、蓮華面(菩薩相)をさながら興福寺阿修羅像の如く備えており、27面千手観音と称している。今回の旅行を計画するそもそもの発端がこの像の写真を見たところから始まっている。

外陣の寄棟式化粧屋根裏が珍しい重文の本堂。

  今回の小浜行でもっとも印象に残った仏像がここの千手観音だった。この像も近年まで秘仏であったとのことで、保存状態がよい。漆箔は後補のようだが、像容を損なっていない。平安時代中期ごろの作で密教仏らしく、厳しい眼差しが印象的だった。実際千本の手を備えていながら実にバランスよく配されており、まったく違和感がない。初めて写真を見たとき、真数千手であることを一瞬見落としてしまいそうになるくらいだった。

  境内には慶長期(1596〜1615)の制作になる梵鐘が掛けられている鐘楼があり(撞くのは自由)、重く響く音にしばし酔いしれた。

観音霊場巡りのパンフの表紙を飾った千手観音像

■ 圓照寺 13:20 妙楽寺から2.2km 累計27.6km

  小浜は昨日走り回った高月同様、急峻な地形があまりなく、名所旧跡は平坦な土地に散在している形になる。自転車での走行で、傾斜があるとないでは大きな差があるので、これについてはありがたいのだが、周囲が田んぼばかりのため見通しがあまりにも利きすぎ、目的地を延々と向こうの山すそに見つけてしまったり、あるいは、田んぼの中の一本道がうんざりするほどまっすぐ続いて、まるで遠近法の教材のように見えたり。なかなか都会のサイクリングでは味わえない経験を何度も味わってしまった。特に強烈だったのが妙楽寺とこの圓照寺。

  今回の旅の最後を飾る圓照寺。丈六の大日如来像が有名。もともと作例の少ない胎蔵界大日の中ではたぶん、日本最大級だろう。平安時代後期の作品で、伏目丸顔、浅い彫り口、二等辺三角形の体躯など、お手本のような典雅な定朝様を示す。定朝様というと、どうしても阿弥陀如来像を想像しがちだが、胎蔵界大日での定朝様ということで、阿弥陀との比較をするのも楽しいだろう。

  金色に輝く全身の漆箔は江戸期の後補とのことだが。蓮弁の漆箔は平安時代造立当初のものがそのまま残っているとのことだ。経年変化の比較をするのもまた、興味深い。

  大日如来の両脇には座禅のスペースが設けられており、禅宗で大日?というちょっとした違和感があったが、この本尊は現在の圓照寺が臨済宗のお寺として再興される以前の、真言宗遠松寺だったころの本尊とのことだ。

  そのほか、不動明王立像(重文:平安後期)と千手観音(未指定:平安後期)が並んで安置されている。特に目を引いたのは千手観音。手のほとんどと頭上面のほとんどが欠落。一部の脇手があとから無理やり付けられたようにバラバラに取り付けられていて、かえって痛々しい姿になっていた。本来は妙楽寺像のような脇面を備えた千手だったようだ。

  寺域がわずかに高台になっていたが、周囲はほとんど水田。その真ん中にある集落の中心にあるようなこのお寺、大日如来とともに、この地を見守っているような、そんな印象を受けた。

←圓照寺庭園。意外な発見でした。

■ JR小浜駅 14:30 圓照寺から5.5km 累計33.1km

  14:31の敦賀行き電車に乗るため、小浜駅まで戻ってきた。その筋ではちょっと有名な定食屋で鰻丼を食べ(この日ようやく一食目)、大急ぎで自転車を返却し、すでに駅に停車していた小浜線に飛び乗った。

  丸1日あれば、あと多田寺と神宮寺くらいは寄れただろうかと思ったりもしたが、昨日の高月と併せ、すでに60キロ以上走っていて、さすがにレンタサイクルということもありもういいかなぁ、感が漂っていた。行きそびれたお寺はまた次回にとっておいてもよいだろう。

  小浜ではそれぞれのお寺でいろいろな仏像と出会えた。湖北は仏像を見守る「人」との出会いが象徴的だったが、小浜はやはり「仏」との出会いの方がウェイトを占めている。

  なかなか関東圏からは行きにくい場所にあるので(この日、米原回りで横浜の自宅に帰宅したのは20時近かった)、奈良、京都に比べると足が向きにくいかもしれないが、仏像が好きな人なら、ぜひ、一度は行って見てもらいたい場所の一つである。



   
文/最高顧問(U)

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10/MAY 2009

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