最高顧問襲名記念小論 「私の仏像観」


最高顧問に就任したんだから、新しい最高顧問はどんな奴なのか、ということをみなさんにわかっていただくために「私の仏像観」などと格式ばった文章をご挨拶代わりに書いてみました。
仏像との出会い、そして価値観の転換など、謎に包まれた2代目最高顧問の原点を探り出しますっ!(笑)
・ 仏像を見はじめたわけ

私は大学で史学科に所属していました。仏像を見始めるようになったのは、ちょうど大学入学の時期と重なります。

歴史学というものは正直なところ、「実体が見えない」学問ですが、史料や文化財などからその姿を推測することは可能です。仏像は、そんな史料的価値と文化財価値を兼ね備えた存在でした。歴史を学ぶ上でなにか参考にできる部分があるだろうと思ったのです。

こうして、多種多様の仏像を実際に見ることが増えていきました。
その中でも慶派の仏像に惹かれ、その精緻を極めた写実的な仏像を特に好んで見ていたような記憶があります(今でも慶派は大好きですよ…(^^))

当時の私のイメージする仏像というと、大きな寺の須弥壇の奥で厳重に置かれている半ばご神体のようなものだったり、博物館のライトに照らされた美術品、というもので、事実、そういうものにしか目が行っていませんでした。


・ 仏像が造立された本来の理由

こんな私の仏像に対する見方が変わり始めたのは2年前、大分を旅したときではなかったかと思います。

このときは国東、臼杵、日田等を訪れたのですが、その行く先々で路傍に忘れられたように無造作に置かれている石仏、朽ち果てそうな磨崖仏、あるいは地元の人に大切に守られてきた仏像など、それまで見てきたものとは一味違った味わいのある仏像に出会いました。自分の考えていたものとは何か違うが、これも確かに仏像だと。

ここで改めて考えたのは、仏像は造立されたときから史料的、文化的価値を必要として作られたものではなく、例外なくその時代時代の人々の「信仰」が仏の形を借りて、具現化したものだった、ということです。

人間とは常に、今おかれた状況よりも少しでも良い方向に向かってゆきたい、と思うものであり、それは時代の差や地域の差、貴賎の差もなく平等なものだろう、と。そんなとき、仏の教えにすがった人たちは仏像をつくることで、安らぎを得ようとし、そして、作られた仏像はまた長い時間をかけ、多くの時代の人々の願いを受け止めてきたのだということを。


・ 過去の人々の代弁者としての仏像


歴史を知るには、ときに過去の人々がどのようなことを考え、行動してきたかを知る必要があります。そんなとき、様々な人々の「祈り」の結晶とも言うべき仏像ほど、歴史を雄弁に物語る存在は他にないと思います。

先進地域の文化を少しでも取り入れようとした飛鳥時代、阿弥陀の救済にすがろうとした藤原時代、武士の願いでもある力強さを反映した鎌倉時代。それぞれの時代で人々の率直な思いが反映されているのではないでしょうか。

私は歴史が好きです。「美術・文化財的価値」というのも確かに仏像の持つ一側面で、相変わらず写実的な仏像も好きですが、それ以上に私は「歴史の証人」としての仏像を見るのが好きなのです。


このサイトをご覧になっている方は、おそらく何らかの形で仏像に興味、関心のある方でしょう。きっかけや参拝・観賞の仕方は多種多様かと思います。私は仏像に対してこのような見方をしていますが、みなさんはどうですか。

意見、感想等お待ちしています!
ふぅ。
いつもはこんなもの書いたりしないので疲れますね(^^ゞ
なんかこのサイトの趣旨とはちょっと違うような文章を書いてしまった気もしますが、最初だけにするつもりなので見逃してください。ともあれ↑こういう奴が最高顧問になりました。よろしくお願いします。

日仏会へお便り

9/FEB 2003

日仏会トップページへ

inserted by FC2 system