レポート:最高顧問(U)の「古保利薬師堂見仏記」


古仏のラインナップでは山陽随一とも言われる
古保利薬師堂。
車がないと拝観は困難と言われるこの地に、
公共交通機関のみでたどり着きました。
芸州仏像ワールドへ、ようこそ。
  (取材日 平成24年2月26日)

  2012年2月の終わり。小雪の舞うまだ春遠い北広島の地に降り立った。遠くにある山々にはまだはっきりと白い雪が積もっているのがよく見えた。
  今回、広島にやってきたのは、宮島や呉といった広島の観光名所を回るのが目的であり、もともとはここは対象から外れていた。しかし、旅行の道案内をお願いしたかつての同級生Uの薦めもあり、半ば強行軍のような形で、ここ古保利薬師堂へ訪れることになった。



  そもそも自分の中で「中国地方」の仏像については意識が希薄なところがあったことは否定できない。
  関西には京都・寧楽があり、九州には国東がある。転じて東北には平泉があり、関東には鎌倉があり、江戸仏がわんさかいる。四国など、88ヵ所のおかげで全体が仏教ワールドみたいなイメージがあるのだが、中国地方にはそれらしき場所がそれほど思い当たらなかった。しかし「広島の山中に平安仏が集団で伝来している」ことは多少なりとも知っていた。今回、古保利薬師堂に行ったのはもともと「せっかく広島まで来たんだから」程度のことだったことは明白である。それは、よい意味で裏切られる結果になるのだが・・・

  バスを下車した千代田ICから北へ歩くこと20分。目指す古保利薬師堂は国道から山道の入り口が見えており、道は比較的わかりやすい。

(古保利薬師堂入口にて)

  古保利薬師堂は、旧名を福光寺といい、9世紀ごろ凡(おおし)氏の氏寺として建立されたのが始まりとされている。その後、戦国時代にはこの地の領主であった吉川氏の菩提寺となり、最盛期には49の塔頭を擁する中国地方随一の名刹であった。ところが関が原合戦の後、吉川広家の岩国転封に伴い衰退し、江戸時代にはかろうじて薬師堂が残るのみとなってしまう。厳密にいえば、ここはすでに寺ではなく、廃寺である。古保利薬師堂というお寺があるわけでもなく、これはあくまで通称。

  現在は地元の人々の手によって守られてきた創建当初、平安初期まで遡れる貴重な仏像が、新造された収蔵庫内に収められている。
  拝観したい旨を管理の方にお伝えし、カギを開けてもらい中に入る。そこには多くが破損し、説明文を見ないと尊名すら不明な仏像の大群が我々を待っていた。

  (ちなみに相当珍しいことに追加料金で「許可をもらえば」写真撮影可です。今回掲載した写真は許可を得た上ですべて最高顧問が撮影したものです)


  今回、見た中で印象的だった仏像を以下に列挙。

1.本尊・木造薬師如来坐像および両脇侍像
本尊・薬師如来坐像

  古保利山福光寺のかつての本尊であったと推定されている如来像。収蔵庫内の福光寺の旧仏の中では唯一の如来像である。
  昭和の中期ごろに京都から仏師を招いて修理したと説明されており、両手首はその際の後補とのこと。寺域の近くにあった公衆浴場の一室で修理されたとの曰くが付いている。
  古保利薬師堂の諸仏の中ではもっとも保存状態がよく(といっても螺髪がすべて脱落していたりするが)、唯一旧国宝に指定されていた。現在は国の重要文化財である。
日光菩薩立像
  また、脇侍の両菩薩像は肘および手首から先を失っているが、それ以上の損傷は少なく、やや腰をひねって立つ体躯に観心寺宝蔵でみられるような密教彫刻のような印象を受けた。面相は3体とも大陸伝来を思わせて厳しく、平安初期の密教彫刻のお手本のような表情だった。

2.木造千手観音立像
 
  かつてリサーチ部門にて行った企画「最高顧問の12冊」の中で取り上げた「ふるさとの仏像をみる」で表紙を飾っていたのがこの像。千手観音とはいえ、合掌手を含む脇手の大半を失っているものの、取り付けの痕跡ははっきり残っており、比較的「千手観音」であったことはわかりやすい。写真で見た時よりもだいぶ厳しい表情に見えた。

3.木造十一面観音立像

  収蔵庫内は3体の重文の十一面観音が保存されている。いずれも時代は平安初期とされてはいるものの、表情や大きさに微妙な差異があり、当初はまったく別のお堂にいたものだろうと思う。各像とも頭上面はすべて脱落しており、一見すると十一面観音には見えず、尊名特定は難しい。頭上に明らかの頭上面用とみられる平らな部分がある一体があり、これがもっとも大きく、また作りも良いように思えた。

4.木造十二神将立像

  一応十二体そろっているものの、各像は本尊や他の仏像同様傷みが大きいものがあり、尊格の特定はおろか、もともとは一具のものではなかったと素人目にもわかるほど作風の違いが認められる。いや、それ以前に一体、明らかに菩薩形の立像も紛れ込んでいる始末。いくつかの神将や天部像の生き残りがシャッフルに次ぐシャッフルを重ね、今に至ったのではないだろうか。
(この方はさすがに天部像というには無理があろうかと)



  その他にも四天王像や「仏像巡礼事典」に写真が載っている吉祥天像など、重文だけで総勢12体の仏像が安置されている。いずれも平安初期の一木造りによる仏像で、伝来がほとんど不明である所などが共通している。
  見ていて、この「由来不明」というのがなんとなく魅力的に感じた。
  1200年にも及ぶ彼(彼女?)らの辿った経歴は想像するしかない。一言で1200年と言ってもピンとこないが、その間寺は興廃し、最後は廃寺となって打ち捨てられていたような時期もあったのだろう。螺髪が抜けたり、腕がなくなったりもするというものだ。何があったのか、どういう経緯で今自分の目の前にいるのか。同行した同級生Uとあれやこれやとりとめのない話をしていたら、すっかり時間をくってしまった。

  今回拝観した仏像たちの顔は、一カ月近くたった今でも鮮明に思い出すことができる。「写真撮影をさせてもらった」というのも理由の一つではあろうが、それだけではないようにも思う。今回顔を合わせた仏像たちは、再び会うことはないかもしれない。わざわざ見に来るにはあまりにも遠く、今回も偶然が重なって訪れることができたようなものなのだから。ただ、それだけに「一仏一会」とでもいうべきだろうか、彼らの顔を忘れてはならない、というか、忘れがたい何かを感じさせてくれる仏像群だったといえるだろう。

  拝観を終え管理人に礼を言い引き揚げる。帰り際に、3週続けて風邪やらインフルやらに見舞われてダウンしている職場の後輩に「古保利薬師」と大書されたお守りを購入。なんとなくきっと確かに理由もなく効きそうな、そんな気がした。



拝観案内(2012年3月時点)
開館時間:9時〜16時30分
休館日:毎週月曜(祝日の場合は翌日)および年末年始(12/28〜1/4)
入館料:大人300円、高校生100円、中学生以下無料
問い合わせ:0826-72-5040(古保利薬師堂直通)

交通アクセス(地図)
車の場合:中国自動車道千代田ICから国道261号線を大朝方面へすぐ(駐車場有)。
電車・バスの場合:広島駅より広島電鉄2号線または6号線にて「紙屋町西」下車。
徒歩すぐの広島バスセンターより庄原・三次方面行き高速バスにて約40分(1時間に1〜2本程度)。
「千代田インター」下車。北へ徒歩約20分。

文/最高顧問(U)

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20/MAR 2012

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